ツアーは旅行慣れしていない輩がいると、迷惑この上ない

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10数年前に、新聞社の招待で3泊4日の九州旅行に行ったことがある。総勢20名のツアーで、1泊目は熊本空港から1時間ほどバスで行った山間の赤水温泉だった。景観は阿蘇五岳を望む素晴らしく、そしてのどかな山里に佇む雰囲気は実に良かった。温泉は阿蘇温泉郷の一つに数えられ、約300年の歴史の赴きがあり、泉質はカルシウム・ナトリウム硫酸塩泉で、豊富な湯量は子宝に恵まれると云われいる。また鉄分を多く含んでいるので素肌に優しいと評判。爽快な気分で温泉から上がったら、新聞社の世話人が何か慌てていた。どうやら北海道から合流した一人が、まだ手荷物が届いたいないらしい。北海道から羽田で乗り継ぐ場合は、次の行き先をハッキリ告げるのだが、どうやら告げていなかったらしい。これから宴会だというのに、気の毒に新聞社の世話人は熊本空港まで、その手荷物を取りに行った。

 芋焼酎には手に負えない。やはり熊本や薩摩人は酒は半端なく強い。

その張本人は酒を呑みご機嫌で会食している。それを見ていて腹が立った。宴会が終わりかけた時に、新聞社の世話人はようやく帰ってきた。部屋は四人部屋で、新聞社の世話にも同じ部屋だった。兎にも角にも労を労った。部屋ではいつも間にか酒盛りになり、熊本名物の六調子や鹿児島の薩摩白波など芋焼酎のオンパレードとなった。当時は芋焼酎はさほどポピュラーではなく、呑み方が良くわかってなかった。酒があまり強くない著者は、コーラで割ってもサイダーで割っても芋独特の臭いと味はどうしようもない。特に六調子は60度以上あって驚いた。後日、分かったことだが、芋焼酎はお湯で割るのがいいらしい。いつの間にか、テーブルはウイスキーやビールに代わっていた。こんな芋焼酎を呑んでいる熊本人は本当に酒は強いと思った。でもこれも後で分かったのだが、熊本でもこんな度数の焼酎は呑まないらしい。殆どが観光客用らしいかった。

 初めての天草は美しく、そして神秘的な雰囲気を醸し出している

翌日は快晴で阿蘇山がよく見えた。いささか手荷物を忘れた奴の拘りを忘れ、楽しく旅を楽しむことにした。熊本港からフェリーに乗り天草に渡った。なにしろ天草は初めてだったので、いろいろ想像して天草に渡った。やはり天草は、津崎協会や天草市立天草キリシタン館などのキリシタン関連施設が印象に残る。また天草五橋はバスで通っただけだが、天草五橋は記憶に残った。天門橋、大矢野橋、中の橋前島橋、前島橋、松島橋からなる五つの橋の総称で、眺望も素晴らしく、いつの間にか天草四郎時貞の想いに馳せた。この天草四郎は謎めいており年齢や素性は定かではなく、フランシスコや豊臣秀頼のご落胤の噂まであった。しかし実際には島原の乱は、この天草ではなく、南有馬町の原城が激戦の地だった。また宮本武蔵がこの島原の乱に参戦していたらし。2日目は雲仙に泊まった。部屋は昨日と同じメンバーで四人部屋。この旅行は同じメンバー部屋割りらしい。

 直に足元から高温の蒸気と熱気が感じられ迫力満点

あんなに天気が良かったのに、雲仙に着く頃には小雨が降ったり止んだりしていた。バスを降りて、ホテルに入る前に雲仙地獄に行ってみた。 強い硫黄の香りが立ち込め、地の底から吹き出すような蒸気と熱気が辺り一面を覆い尽くす。まさに地獄そのもの。ここ雲仙地獄はキリシタン殉教の舞台になったところで、殉職碑も建立されている。これは江戸時代のキリシタン弾圧では、雲仙でも改宗させる手段として使われ、拷問が行われた。殉教碑はここ雲仙地獄で殉教した人々の鎮魂の碑。地獄谷と云えば登別や箱根の大涌谷が知られているが、登別や大涌谷はスケールが大きいのが、雲仙地獄は両者と比べれば規模は小さいが、その分間近に歩いている歩道も狭く、足元から高温の蒸気と熱気が直に迫力を感じさせる。また雲仙は、温泉山満明寺の山号から来たもので、やがて風流な文人らが「雲仙」と表すようになり、これが定着したもだ。

 やはり中洲の昔の良さは消え、何か違う街に来たようだった

最終日の3日目は、福岡だった。宴会をそそくさ済ませ、中洲に繰り出した。部屋の四人組で…。タクシーを降りて早速訪ねたのはキャバレー「月世界」だ。しかし残念なことに「月世界」は跡形もなく消えていた。この「月世界」は若い頃に来たことがある。店は昔の赤坂界隈にあった、デッカイキャバレーやクラブより大きく、料金も安く何よりも結構面白かった。そして店の女の子の若くてツブ揃いであった。大きなキャバレーはスッカリ姿を消して、その代わりにキャバクラの紹介場が数多く点在していた。入口から奇抜な化粧をした若い子の写真が隙間なく貼っていた。我々が歳をとったからなのか、写真の女の子には到底に手に負えない。中洲もスッカリ様変わりして、以前のような賑わいは影を潜め、何か違う街に来たようだった。それでも我々に合いそうな店を探し、ホテルに帰ったのは夜中の2時過ぎだった。

 普段は信仰心はなきが、太宰府天満宮はどこか厳かな気持ちにさせる

翌朝、ホテルの守衛が誰かに漏らしたらしく「昨夜は2時過ぎに帰ってきた亡者が知るらしい」と話が出ていたが、それを無視して知らんぷりしていた。バスは福岡空港に行く前に太宰府天満宮に寄った。菅原道真公を祀っている神社で、学問・至誠・厄除けの神様」として、日本全国はもとより広く世のご崇敬を集め、年間に約1000万人の参拝者が訪れている。また「天神さま」と崇められ、太宰府天満宮は全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられている。境内は何となく厳かで、威厳を感じさせる。福岡空港は今はリニューアルしたらしいが、その時はまだ昔の福岡空港だった。この福岡空港は、若い頃にフィリピンに遊びに行って、帰りの飛行機の中で、コレラの感染した人がいたとアナウンスがあった。そんな経緯で福岡空港に緊急着陸した空港で、印象深い空港だ。今回は何ごともなく、羽田に降り立った。

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