まだ走っていない新東名は、実に素晴らしい道路だった

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新東名ができて2年くらい経ってから、急に想いついた。「そう云えば新東名をまだ走っていない」と気づいた。いつもなら新しいもの好きなので、このような建築物が完成したなら、いの一番に行って体験するタイプなのに、やはり年なのか行動が鈍くなっている。ならばと第二東名を走りに出かけた。その他に静岡でまだ見てない物があったので、次いでにそれも見てこようと思った。今川家の菩提寺で徳川家康が幼少期を過ごした臨済寺。安藤広重の東海道五十三次「由井」にも描かれている薩埵峠。数百年にも渡ってお寺の境内にこんこんと湧き続けて清水湧水。清水次郎長一家の森の石松のゆかりの遠州森町。創業は慶長元年で400年以上続くとろろ汁の丁子屋など静岡には意外と見ていない物が等々があった。なかでも遠州森町には行ってみたかった。いつものように高速中央環状線から透明に入った。初めはいつもと変わらない東名高速だが、海老名を過ぎてから新東名と東名が分かれる。もちろん新東名が目的なのだから、新東名の方にハンドルを切った。新東名に入ってすぐに感じた。東名と比べてカーブも坂道も緩やかなにできており、そして直線に近い道路なので、より快適でエコな走行が可能になると感じた。

まだ観てない名所や寺院を巡ったが、驚いたのは静岡市は県内2番目の都市だった。

物によると新東名経由の御殿場JCT~三ヶ日JCT間の距離は157.4km。しかし東名経由の167.5kmに比べ、約10km短くなる。いずれにしても快適なドライブを楽しめる高速だと感じた。まだ知名度がないのか、それともコースが山側を走るので需要が少ないのか、車は空いている。新東名を楽しむに来たので、そんなにスピードは出すつもりはないが、気がつくとスピードが出ている。これはまずいとスピードを落とすが、またスピードが出ている。これではパトカーに使っちゃうと思っても出てしまう。静岡市内に入った。当時は戦国大名の今川氏が本境地としていた街で、駿府と呼ばれていた伝統ある街でもある。まずは臨済寺に行ってみた。この寺の庭園は国の名勝に指定され、春と秋に特別拝観が実施される。また臨済寺の本堂は重要文化財に登録されている由緒ある寺院。徳川家康とも縁があり、幼少期に竹千代と呼ばれたいた時代の、8歳から今川家に囚われ12年間を過ごし、太原雪斎のから教育を受けた所でもある。また徳川家康は秀忠に家督を譲り、晩年を静岡で過ごした。話は変わるが驚いたことに県庁所在地の静岡より浜松市の方が、人口も規模も大きくなっていた。でも俄には信じてるられない。静岡市の駅前には、大きなビルが建ち並び、静岡県内で二番目とは思えないくらい重みと近代的な街並みを感じさせる。浜松が「大きい」と聞かされても信じ難い。今夜の宿泊は静岡駅南口のある高層ホテルを予約していた。駐車場は地下に設けられなかなか便利なホテル。

黒はんぺんに代表される静岡「おでん」は東京の「おでん」と違っていた

静岡は名物の「おでん」が有名。だが一度も食したことがないので、今回は静岡「おでん」を食べることも目的の一つ。静岡には「青葉おでん街」と「青葉横丁」の二つの「おでん街」がある。その他に静岡の街には、「おでん」を営んでいる店が多かった。しかしこれらは子供相手の店が多く、東京で言えば「もんじゃ」と同じでようなものである。その子供たちは小銭を手に「おでん」を食べに来る。夜になると、呑んべいを相手の店がオープンする。おでん街はタクシーで1000円前後で来られ、しかも二つの「おでん街」は意外と近い距離にある。しかしその日は連休で、どこの店に行っても満席で入れない。結局、二つの「おでん街」を行ったり来たりしたが、ようやく空いている店が入った。取り敢えずは名物の「黒ハンペン」などを見繕ってもらい食した。色は黒っぽいが、味はそんなに濃くない東京の「おでん」とは、また違う食べ物だ。ここの店の女将は、60前後と思えるが、話好きで何度も追加を頼んでも話に夢中になって、「おでん」が出てこない。せっかく東京から来たのだから、もう少し「静岡おでん」を堪能したいが、なかなか注文しても「おでん」は出てこない。「おでん」の追加を諦めた。カウンターだけの小さな店で7~8人が入れば満席になる店だった。

おでん屋は東京や神奈川の観光客だけっで地元の人間はいなかった

30分も経つとお互いに話が弾み、以前から知り合いのような雰囲気が出てきた。左端の座っていた30代半ばの男性が「皆さん。これも何かのなの縁なので自己紹介をしませんか」と云い出した。一瞬いらないことを云う奴だと思ったがしかたがない。左から順番に自己紹介を始めた。ひと通り自己紹介が終わった。なんと東京や神奈川の人間ばっかで静岡の人間は一人もいなかった。みんな観光客ばっかりだ。それはある程度予想はしていたが、ひとりくらいは地元の人がいるのではと思えたが…。結局、「おでん」一皿だけでホテルに帰る羽目になった。腹は多少空いていたがどこかで飯を喰って帰る気持ちにはならなかった。多分、車を運転した疲れが残っているのだろう。もしかして年なのかも。最近はちょっと運転をしただけで疲れが残る。翌日はホテルで朝食は駿府城の近くの洒落た店で、朝食兼昼食を摂った。それから遠州森町に行った。描いていて町とは違いただの田舎町で見る物も少なく、わざわざ出かかけて来るまでもなかった。それでも御朱印を4箇所もらい帰路に向かった。

前の車のテールランプが二重に見えて、ビビったが無事着いた

夕方までに東京に戻るつもりだったが、辺りはすっかり暮れ車のライトが必要になった。暗闇で運転して気がついた。前の車群が全て二重に見える。疲れているのではと思ったが、疲れとは違う感じがする。同乗している女房には気づかれないようにした。女房に気づかれたら煩いので…。それにしても運転が怖い。前を走る車のテールランプだけが頼りだが、そのテールランプが二重に見えるのだから困ったもんだ。必死で運転して東京に着いた。家のテレビを観てみも画面が二重に見える。これではまずいと思い、翌日、早速眼科にいってみた。1時間ほど待たされてが結局は目の粘膜が眼球にクッツイているのが原因だった。その為、粘膜に小さな穴を開け空気を入れる手術を施された。1週間に片目づつ手術を行った。取りあえずは二重に見える現象は治ったが、しかし何年か経って今度は眼が霞むので、また眼科にいった。何しろ眼が見えなくなるのいが、怖かったので病院行った。前は眼科だったが今度は総合病院で診てもらった。「以前に粘膜に穴を開けていますね」と簡単に見破られてしまった。今回は手術はやっていないが、定期的に眼科に通っている。現在は目薬が必要不可欠の生活になってしまった。

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